四月某日。
「いそげ、いそげ、いっっっそげぇ――――っ!」
ゆっくりと夕日が沈んでいく空の下、 岩国総合高校(いわくにそうごうこうこう)二年の麻倉音緒(あさくら ねお)が、学校の校舎前まで続く急こう配な坂――通称・総合坂を全速力で走っている。自慢のポニーテールが風に揺れる。
今日は待ちに待った日。
昨年、『軽音楽同好会(けいおんがくどうこうかい)』という部活を創ったネオにとっては、その日と同じぐらい夢にまで見た特別な日だ。
自分と親友、そして新たに入部した二人の一年生部員で結成されるのだ。
そんな、重要かつ、スペシャルなイベントがあるっていうのに、
「もう、なんで、なんでねてたのよ――っ!!」
部活で使うプレハブ小屋は、先に演劇部が使うということになっている。なので、実際の活動は6時あたりから始まる。
本来なら学校にいて、いつものように親友と図書室で本を読んだり、今日の活動について話したかった。しかし、『あるもの』を忘れて家に戻らないといけない事情があった。なので家に帰り、その重大なものを手にした……までは良かったのだが、「まだ時間がある」と余裕をこいでいたため、カーペットの上でボーっとしていたら、時の流れは急加速した。
マジで自分を責めたくてしょうがなかった。部長としてなんたる失態を犯してしまったんだ。
腕時計は六時三〇分を知らせている。おそらく時間にうるさい親友が、今にも鬼と化そうとしているかもしれない。
頭の片隅で親友の頭を冷やす方法を考えつつ、ネオは校門を突破し、さらに急になる――校舎前までの坂を、飛んでいるみたいに軽快に駆け上がる。こう見えて彼女は中学時代、陸上部に所属しており、日が暮れるまで毎日走っていたのだ。なので、この二段階坂もネオにとってはお手のもの。あっという間に校舎前。
「あと少し!」
最後の力を振り絞り、昇降口を横切り、裏にあるプレハブ小屋の戸を開ける。
ガラガラガラ!
中には、二人の一年部員が待っていた。
「お、おっまたせぇー……う、うわあああっ!?」
全力で走ったせいで足がもたつき、ネオはビターン! と這いつくばるように倒れ込む。殺人現場で見る死体そのものだ。
「せ、先輩!」
先輩の無惨な姿を一年生部員、ドラム担当の野上健斗(のがみ けんと)が慌てて近寄る。
「だ、大丈夫……っスか?」
「うん……なんとか」
ネオは親指を立てて、少なくとも死人ではないことをアピールした。
健斗に手を貸してもらい、ゆっくりと立ち上がる。中学時代は坂を登るのもへっちゃらだったけど、ブランクがあるか。体力の衰えにちょっぴり寂しさを感じた。
「ごめんねー、遅れてしまって」
ネオは改めて新入部員――健斗と、彼の隣にいる無表情を保つもう一人の――背が高く、顔が整ったイケメン、ベース担当の伊藤巧(いとう たくみ)に向かって手を合わせる。その姿に巧は黙ったまま彼女を見つめ、それに対し、健斗は、ハァ、とため息をついて、
「まったくスよ、そのおかげでみっちぃ先輩が」
「みっちぃがどうかした……って、まさか!」
「ね―――お―――」
「ひゃああああっ!?」
今すぐにでも呪いをかけるような声音に、ネオは驚いたように思いっきり裏声を発した。背中から悪寒がぞくぞくと走る。目の前にいる健斗の顔はこわばり、冷や汗がでている。親友があのモードになる瞬間をおそらく見たのだろう、とネオは思った。
――間に合わなかったか……。
ネオは覚悟を決め、後ろにいるその人のほうへと振り返る。
「あ……」
死線を見てしまった。この目で見るのは何度目になるのだろう。およそ四、五回目だと思う。
そこにいたのは自分の遅刻でカンカンになっている、副部長で親友の長里(ながさと)みちる、いや、みちる様であった。ちなみにギター担当。
左手に持っている飲みかけのドリンクが、メキメキ、と音を立て、茨のとげのように鋭くなった漆黒の髪の毛先は、ネオが兄のゲームプレイを見たときに出てきた、妖魔メデューサの髪のようだった。長い髪がうねうねと動き、すぐにでも部長――ネオに突き刺そうとしていた。
「ご、ごごごご、ごめん、みっちぃ! ここここ、これには、ふかい、ふっか――――い、わけが!」
「うるせえ! どんなにちっさい理由があってもなぁ、連絡ぐらいよこせっつーの!」
「電話しようとしたわよ! だけど、充電が切れているのにまったく気づかなくて! だから、だからね、元のみっちぃに戻って冷静にわたしの話を……」
「問答無用!」
「きゃああああああっ!」
バチ―――――――ン!!!!!
たまりにたまったストレスを開放したその音は、部屋全体に響いた。
健斗は思った――みっちぃ先輩には、すぐに謝ろう、と。
※※※
「――それじゃあ、四人揃っての初めての活動ということで、今日はミーティングをしまーす」
苦笑を浮かべて腫れた右頬を抑えながら、ネオが活動の始まりを告げた。
「う、うっス」
彼女の目の前に座っている健斗は、その形相に苦笑する。逆に彼の隣にいる巧は、「……はい」とロボットのように表情を一つも変えない。
「で、どんなことをやるんだよ、ネオ」
モードチェンジしたみちるが何事もなかったかのように訊ねる。先ほどまでキレていた面影はどこにもない。
「うーんとね、うーんと……えへへ、なにがしたかったんだっけ?」
「あ、あ、あんたねぇ……」
ネオのとぼけ発言に、みちるの拳が唸る。
「じょ、冗談だってば!」
「まったく、真面目にやりなさいよ」
どうやら部活の真の指揮者はみちるのようだ。部長であるネオですら、頭が上がらない。
彼女はコホン、と軽く咳払いして仕切り直す。
「さて! 今日が新入生含めた初めての活動ということで、まずは今年の活動方針について発表するわね。今年の軽音楽同好会は一年生が無事に二名加入したので、新たなステップとして、この四名でバンド活動をしたいと思います! 先生や演劇部などへの交渉は今からだけど、学校でのお昼の時間、そして放課後にはミニライブを定期的にやろうと考えています。そして、岩国でのアマチュアのライブフェスにももちろん参加します!」
おおっ! と部長の活動方針の発表に、
「いいねぇー、腕が鳴るよ」
「燃えるっスね」
「……楽しみですね」
みちる、健斗、巧が、それぞれの反応を示す。
「もちろん、ここにいる四人で活動ね。ちなみにバンド名は……わたしが考えたわ!」
「ええっ!? バンド名、もう決まってんスか!?」
健斗が落胆を混ぜた驚きをあげる。
「何よ、文句があるの? わたしが部長なんだから、決めるのはもちろん、わ・た・し! でしょ! どうせあんたが決めてもナルシな言葉だもんね、ナル男(お)」
「な、ナル男じゃねぇっスよ!」
健斗は思わず立ち上がる。それを彼女は「はん!」と鼻であしらい、
「何よ、入部面接で、『俺がいないと、星たちが輝くことができないぜ』とわけのわからんイタイことを言ったのは、どこのだれよ?」
ネオのイヤミな言い回しに、カチンときた健斗は彼女に接近し、顔を近づけ、
「あ、あれのどこがイタイっスか! 俺がいないと先輩や生徒が輝くことがないぜと言っただけですよ!」
ネオもそれ対抗するかのように、バン! とその場で大きな足音を立て、
「そうよ! だからナルシスト男――ナル男って呼んでるんじゃない。自覚しなさいよ!」
「認めんっス! 先輩であろうがなんだろうが、俺はナルシストじゃあないっス!」
「認めなさいよ!」
「絶対に違うっス!」
「認めろってば!」
「ああーっ、もう! うるさ――――――い!」
ゴチ――――――ン!!
みちる様の天罰が二人の脳天に突き刺さった。
「ったく、バカなことをする暇があんなら余所でやれよ!」
「ごめんなさい……」
「すんませんっス……」
鬼の鉄鎚(てっつい)に二人の熱は一気に冷めた。
「……で、バンドやるのはいいけど、どういう編成でやるのよ。あたしはギターしかできないよ」
通常モードに戻ったみちるがネオに訊ねる。こういう切り替えはうまいなあ、とネオは思いながら、
「うん。一年生二人は面接での希望通り、健斗はドラム、タッくんはベース。みっちぃはもちろんギター兼バックコーラス。そして私がボーカルということで。もちろん、異論は認めないわよ、健斗」
「わ、わかってるっスよー」
釘を刺された健斗がうんざりしたような声を出す。
「そして、バンド名なんだけど……ここに書いてあるわ!」
ネオは床に置いてある『あるもの』――折り曲げた画用紙を手に取る。そして、ネオは再び立ち上がり、
「この名前にはね、今しかないこの時――高校には常に、楽しい、辛い、悔しい――一日の日々に、たくさんの人が色々な感情が飛び交っているよね。それらをわたしたちの手で、ここにいる『瞬間』を等身大で伝えていく、そして、『前を向いて行こう』と後押しをする、そんな思いが込められているの! これは、この高校だからこそ言えるバンド名よ! その名はあー……」
ネオは深呼吸し、勢いよく画用紙を広げた。
「moment’s(モーメンツ)!」
プロローグEND
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