「……はぁ」
二階の職員校舎と学生校舎をつなぐ廊下で、ネオは意気消沈していた。ライブのように爆音でセミたちが鳴くが、それすら耳に入ってこない。
みちるに言われた通り、校則通りの服装に直し、そのファッションを見せる開場――職員校舎三階にある視聴覚室で、先生にきちんとした姿を見てもらった……までは良かったのだが、検査終了後、すぐに廊下で元のスタイルに戻ったところを担任の大崎(おおさき)先生に見られて、再びきつーい説教を受けてしまった。その結果、
「なんであんなにしつこいのよ、もう……」
ペコン、と頭が垂れる。
自分がアニメキャラクターなら、へこんでいる時の――無数の青と黒の直線で表現されているな、とネオは思う。
そんなローテンションのままトボトボと廊下を歩き、自分のクラスである二年一組の教室へと入った。
いつもなら選択授業など多目的に使われる選択教室で、みちるやクラスの友人たちといつものようにバカ騒ぎをするはずだったが、さすがにこのテンションでは雰囲気を壊してしまう。なので、静かに席に座って伏せておこうと、頭から両肩にまで重くのしかかる疲れをとることを決めた。
教室は学生が色々な場所で話したり、遊んだり、男女がデートのような雰囲気になっていたりするような賑やか、ではなく、女子学生が数人が話しているだけでわりと静かだ。どこか別の教室で遊んでいるのかもしれない。
この雰囲気のようにゆっくり寝とこ……、とネオが教室のど真ん中にある自分の席に座ろうとしたその時、
「……」
同じ列の、廊下側に座っている女子に目が止まった。
ネオよりも小柄で、長い髪はふわふわしており、横から見るとおしとやかなお嬢様のように見える。
――確か名前は……ええと……なんだっけ?
なぜ、と思う。同じクラスなのに。そんな自分が恥ずかしい。
残念ながらネオの記憶に出てこない女子学生は、何らかの作業をやっているみたいだった。
彼女が何に夢中になっているのかが気になり、ネオはそっと近づいてみる。すると、女子の机の上には、A4サイズくらいの用紙。左手には鉛筆。
――何か描いて、いる?
ネオの存在に気づく気配は全く感じられない。机上にある紙に向かって、真剣な目でサラサラと描いており、とても話しかけられる雰囲気でもなかった。まさに、一意専心(いちいせんしん)状態とでも言うべきか。
とりあえずネオは、女子学生の作業をしばらく観察しようと思った。
・・・…しかし、
「うー……」
わずか数分で呻(うめ)き始める。
チーターのように獲物の様子をじっと伺うような状況に我慢できなくなり、己の好奇心の赴くままに彼女の席へと歩み寄る。
そして、
「ねぇ」
女子学生に声をかけてみる。
だが、
「……」
無言。
――ムッキ――――ッ!!
人が呼んでいるというのに。ネオはやけになり、寄せつけぬほど夢中になっている女子生徒の耳元に近づく。
そして、
「うわあぁぁぁ――――――っっっ!!!!」
ライブの時と同じくらいの、張りのある大声を叫ぶ。
「うわぁあああっ?!」
女子学生の耳が、ネオの罵声(ばせい)を左から右へと貫通し、あまりの大声にびっくりして、首から頭にかけて電撃が走り、震える。
「……」
彼女はビクビクしながら、左にいるネオの方へ顔を向ける。
「そ、そんなに怖がらないでよ」
「だ、だって、あ、あまりにも大きな声だった、から……」
「わたしに気づいてくれないんだから、そりゃ大声も出すわよ」
ちょっとやりすぎたかな、と内心思いながら、ネオは不快感を見せる。
「あ……ごめん。自分の好きなことをやっていると、つい夢中になって……」
「もうー」
女子学生は顔を赤くし、視線を下に向ける。どうやら集中していると、いつもあの状態になるみたいだ。
「そ・れ・で、何描いているの?」
「え?」
「何を描いてい・た・の!?」
ん、とネオはきょとんとしている女子学生の作品に指を差す。
「あ、ああ、こ、これのこと?」
女子学生はチラッと机の上に置いてある紙を一瞥(いちべつ)する。コクン、とネオは頷く。
「これ、まだ途中だよ」
それにうまく描けていないし、と彼女は見せるのを躊躇(ちゅうちょ)する。
「そんなのいいから、いいから! ね! ちょっと見せて!」
「あっ!」
ネオはジャイアニズムをむき出しにして、女子学生の机の上にある用紙を強引に奪い取り、
「どれどれー」
まじまじと彼女の絵を見つめた。
「やっぱり、うまく描けていない……よね?」
自信なさげにきゅっ、と女子学生は身体を縮こむ。
しかし、
「!」
その未完成の絵に、ネオは息を呑んだ。
――か、かわいい!!
ネオからしてみれば、それは黄金のように輝いていた。
ドレスを着た清廉(せいれん)な女性が、花畑で穏やかな表情で風を感じている。まだ花畑が完全に仕上がっていないが、この世のどこかに存在しているのかと思えるくらい、すごく生きているように見える。
――おおっ! おおおおお…………っ!!
女子学生の絵に釘付けなり、そして、
「す、す、す、」
「?」
「すっっっっっごぉ――――――いっ!!」
喉につっかえた言葉を強引に吐き出し、ネオは大絶叫で驚嘆(きょうたん)を露(あら)わにした。それは形となって宇宙に向かって飛んでいき、女子学生の髪を暴風のように大きく揺らした。それはもう、光線を吐く大怪獣のようだ。
光線が消えた瞬間、時が止まったかのようにシーンとなる。
「……」
教室内や廊下を歩いている学生全員が声の主(ぬし)――ネオをじーっと、注目する。
「あ、あはははははは……き、気にしないで」
ネオは笑いながら周囲に平謝りして、その場をごまかした。だって、すご過ぎたのだ。大声以外にどんな表現をすればいいのよ!?
そんなネオを女子学生は唖然とした表情で見ていた。どんな風な言葉を返したらいいのか、分からない。
二人の間に微妙な空気が漂う。
「ご、ごめん」
とりあえず、リアクション芸人並の表現をしてしまったことに、後頭部に手を当てて謝ってみる。
「い、いや、気にして、ない、から……」
女子学生はドン引きしたような、驚いたような、わけがわからない表情でネオを見つめた。
そしてまた沈黙が。
ここから、どういう流れにすればいいんだ? このまま立ち去ったほうがいいのだろうか? いや、このままでいたら、彼女の頭に『うざい女子』というイメージが纏(まと)わりつくのでは?
頭の中で思考がぐるぐると渦巻く。
よし! ここは強引に!
ネオは覚悟を決め、左手に持った絵を右手で指を差しながら、
「い、いやぁ〜、ホントにすごいよこれ、ほんとに! 生きているみたいでさ! わたし、こんな風に絵が描けないから羨ましくて! それから、え〜っと、え〜っと……」
ネオは脳内で必死に言葉を絞り出す。
「あ、そうそう! リアルにいるみたいで! 大自然に生きている彼女が、風を感じながら、友達? か何か、う〜ん、人の温かさっていうのかなぁ? それを感じているみたいな? なんか、わたしがやっているものと似たような感覚っていうか、そんなイメージが沸いてきて……あ〜もうっ、そうじゃない! えーと、えーと……」
こーでもない、あーでもない、とネオはぶつぶつ独り言を漏らす。
「あ〜っ、もう! どういう風に言えばいいのよーっ!」
制御不能で大暴れするポンコツロボットのように、顔を下にして頭を抱え、大混乱している。
そんなポンコツ女子が披露した、不器用丸出しの賞賛劇(しょうさんげき)を見て思わず、
「ふふふふふ……」
と女子学生は我慢できなくなり、しまいには、
「あはははは!!」
腹を抱えて大爆笑。
こんな笑い方もできるんだ、ネオは呆然と彼女を見つめる。
「あ……ご、ごめんなさい」
我に返った瞬間、彼女はすぐに顔を赤くしながら謝った。
ウチのバンドにいる誰かさんにそっくりだ、と思いつつ、ネオは腕組みして、
「まったくよ。すっっっっごい褒め言葉を考えていたのにー」
むーっ、と顔を膨(ふく)らませて不満顔。
「本当に?」
女子学生が冗談っぽくネオに訊ねる。
しかしその一言は、グサッ! とネオの心臓に射抜かれた。が、そこはネオ。怯まずに、
「ほんとだよ! もう大絶賛だよ! あんたも涙流して大感動だよ! ネオ様ありがとうー、だよ!」
えっへん、とでかい口を叩く。
「それは、どんな言葉?」
「それは、それは……ひみつ! あんたがあたしをバカにしたからひみつ! 」
「えー、聞きたいなあ」
「だーめ! わたしがそう言っているんだから、これでいいの! ああ、もう! 茶々入れるから収拾がつかないじゃないのよ! どうしてくれるのよ!?」
「え、ええっ!?」
ネオの――ポンコツの意味不明な申し立てに、女子学生は困惑する。
「あんたが笑ったあとに、わたしに『ありがとう』って言ってくれればすぐに次の展開に……!」
「そ、そんなこと言われても……」
「はぁ!?」
わあ、わあ。
ぎゃあ、ぎゃあ。
賞賛劇(しょうさんげき)が、収拾つかなかったオチについての議論へと発展していった。
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