タッタッタッタッ……。
ーーなんで、どうして……!
ネオは全速力で、学生校舎から左側にある専門教室校舎へと向かった。
実緒(みお)が無理矢理押し隠していた『不安』を確かめるために。
下駄箱で別れた時の気の沈んだ顔が、頭の中で鮮明(せんめい)に蘇る。
嫌な予感が、現実となっていく――。
――ネオが彼女に違和感を覚えた三日後。
「じゃあ、二年一組の出し物はこれに決定します」
総合祭(そうごうさい)委員を中心とした話し合いで、総合祭の出し物が小さな子供たちにも楽しんでもらえるように、教室を使って『すごろくゲーム』を作ることに決定し、その準備で実緒とマスの絵を描こうと思ったのだが……。
彼女は突然、クラスから姿を消したのだ。彼女の座っている席には、前から誰もいなかったと思えるくらい、ごく自然と。
最初は風邪でも引いていたのだろうと思った。そう思いながら、二日、三日、そして四日目が経過。
彼女は学校で姿を見せることはなかった。ネオが何度も携帯電話でメールや電話をかけても返事が来ない。
「何か、あったのかな」とみちるに相談するが、「急病で休んでいるんじゃないの」と言われるし、クラスメイトで幼馴染みの優太に聞いても「ただのカゼだろ」と言われる始末。確かに急病で入院しているのなら出ることもないし、気を使わせたくないから先生に口止めをしているのかも、と一応、そういう風に解釈していた。
そして、休みをはさんで七日目。総合祭開催まで一週間となったこの日も、彼女は登校しなかった。
――おかしい……自分の知らないところで何かがあったんだわ!
ネオは、帰りのホームルームが終わった直後、教卓にいる担任の大崎(おおさき)先生に訊(たず)ねた。
「先生、あの、訊(き)きたいことが……」
「どうしたの? ていうか、あなた、服装!」
「あっ、すいません」とネオはしぶしぶと服装を正す。 普段は穏やかなのに、校則マナーに関しては厳しいので面倒くさい。まあ、それも実緒のためだ。そうしなくては、質問すら答えてくれそうにもない。
服装を整えたネオに、よろしい、と先生は言い、
「で、訊きたいことは?」
「あ、あの、実緒――いや、竹下(たけした)さんに何かあったの?」
「え?」
「いや、このところ彼女、何日も休んでいるから、心配で……」 友達のことでやけになっていることが照れくさいのか、先生から視線を外すネオ。
「うーん、そうなのよね……」
彼女が実緒のことをどう思っているのかを察したかのように、先生はネオだけに聞こえるように口の近くで手を当て、小さな声で、
「実はね、先生も竹下さんのことが分からないの。彼女は普段から真面目な子だから、体調不良の時はちゃんと連絡をしてくれてたんだけど、電話が来ないのよ」
「!」
大崎先生の言葉に絶句(ぜっく)するネオ。先生は続けて、
「朝のホームルームや昼休み、そしてこのホームルームが終わった後に、今日で五日目かな。家を訪ねたんだけど、ご両親は仕事で家を出ているから返事がなくて……明日も竹下さんの家に行こうと思っているのだけど、麻倉(あさくら)さんは何か知らない?」
「い、いえ……」
ネオは顔を俯(うつむ)く。胸が、ドクン、ドクン、と高鳴る。
――なぜ、こんなことになったの? どうして気づかなかったの?
頭の中で言葉がぐるぐると回っていく。『不安』という言葉がぶわっと、身体中に、震えとして表れる。
「……」
「麻倉さん、顔が青いわよ」
先生は心配そうな表情を見せる。
しかしネオは、呆然(ぼうぜん)と立ち竦(すく)んだまま。
「麻倉さん!」
「!」
先生の大声で、ネオは別世界から帰ったかのようにハッとして、我に返る。
「せ、せんせい……」
涙で濡れた双眸(そうぼう)で、先生を見つめる。
「どうしたの? 大丈夫?」
「は、はい……」
ネオは顔を先生に見られないように、再び目を逸らす。
わたしは……彼女の近くに、いたの、に……。
思いたくない。思いたくないけど。
これってやっぱり……。
頭の中で、ある三文字の言葉が思い浮かぶ。そして、その事件があったのは恐らく――。
歯にぎゅっと力が入る。ネオはすぐに顔を上げ、
「先生! 竹下さんって、確か美術部でしたよね!?」
「え? ええ、そうだけど……」
「ありがとうございます!」
「麻倉さん!?」
ネオは全速力で教室を出ていき、すぐ側にある階段を駆(か)け上がっていった。
「ネオ!」と呼ぶ、みちるの声も空耳に聞こえるほど、必死に。
――そして今、ネオは学生校舎から右にある専門教室校舎へと向かっている。
美術部に問い詰めるために。
実緒が『傷つけられていた』という真相を確かめるために。彼女とのやり取りで思い当たる節がそれしかないのだ。
ネオは思う。
放課後、下駄箱で分かれたときのあの表情はもしかしたら、「助けて!」というサインだったんだ、と。それが本当なら、なぜあのときから気づけなかったのだろう。むしろ、その違和感を夏休みに打ち明けたら良かったんじゃあ……。思えば思うほど、早く行動しない自分がバカに思えた。
歯をギリギリと噛みしめ、専門教室棟の階段を二階から三階へと上っていく。
あのときのように友達を失いたくない。
ーー失ってたまるか!
ネオの脳裏に、以前友達を失った出来事の一部始終(いちぶしじゅう)が、フラッシュバックする。
※※※
小学生五年生の頃、ネオはクラスメイトに傷つけられた苦い思い出があった。親友の裏切りによって。
ある日の放課後。「私服に着替え次第、また学校で会おうよ」と、同じクラスであり、幼稚園の頃からずっと一緒だった親友(女の子)に呼ばれた。ネオは素直に親友の誘いに乗り、家にランドセルを置いて私服に着替え、すぐさま小学校へ向かった。
待ち合わせ場所である下駄箱の前で親友と落ち合い、自分たちのクラスから二つほど離れた教室に連れてこられる。そこでネオは、先に待っていた彼女の友達――意地の悪そうな女子二人を紹介された。
そのときからだ。
親友が暗い何かに憑(と)りつかれているような気がしたのは……。
――その予感が的中する。
「ねえ、こいつの机にラクガキしようよ」
性格が気にくわないからさぁ、という理由で、クラスメイトの机に毎日、友達と共に「死ね!」とか、「消えろ!」とか、卑劣(ひれつ)なラクガキをしていたのだ。そして、それをネオにも書いてもらおうと考えていたのだ。だって、
「あたしとネオは『親友』、でしょ?」
――こんなの、あんたなんかじゃない……。
母親の言いつけで善悪(ぜんあく)の線引きがはっきりとしていたネオは、
「こんなの間違っているわ!」
と抵抗し、親友に、
「他人が見ないところで悪さをするヤツほど、卑怯(ひきょう)という相応(ふさわ)しい言葉はないわよ!」
必死に訴(うった)えた。同時にここで自分と彼女の関係を崩してはいけないとも思った。
誰かが見ないと、第二、第三のクラスメイトが傷つけられると思ったからだ。ちゃんと正しいことを言える人間がいないと、これはなくなるはずがない。
ずっと一緒に、笑ったり、泣いたり、助けあった親友だから届くと思った。
だが、
「そんなの知るかよ! やれ!」
届かなかった。
「!」
親友の命令で、ネオは友人二人に手をつかまれ、鉛筆を無理矢理握らされてしまう。彼女たちによって、「消えろ!」とか書かされてしまう。それだけはいやだ!
「やああっ!」
ネオは机に書く瞬間、右肩方にいる親友の友人の腕を力づくで振り払った。ネオの右手から離れて、左側で動揺しているもう一人の友人の隙をつき、束縛(そくばく)されていた両手を振りほどいだ。
そして親友に向かって、ネオは躊躇(ちゅうちょ)せず頬に向かって勢いよく、
「てやあっ!」
ぶん殴った。
その一発で親友は倒れ、悪友(あくゆう)二人が彼女の下へ。
「……」
これで懲(こ)りただろうと思い、ネオは無言で教室を出て行った。
手が、震える。
親友だから、親友だからこそ殴った……。
そう言い聞かせ、ネオは一人、家に返った。
だが翌日。昨日の一発も空(むな)しく、今度は自分の下に牙が向けられた。
机に「死ね!」とか、「消えろ!」とか、書かれていたのだ。それを書いたのはもちろんあいつだ。親友という関係を一瞬で崩した卑怯者(ひきょうもの)。ネオは消しゴムで消すが、そのラクガキは毎日続いた。
しかし、ネオは我慢し続けた。
彼女の良心が再び芽生(めば)えることを信じて、我慢(がまん)し続けた。『親友』だから。それに、先生に話したりすれば、さらに事が大きくなると思ったから。
あいつのために、わたしが……。
自ら背負った苦々しい日々を過ごし、時は夏。
朝、机の上には小さなメモ用紙が置かれていた。
『放課後、教室に残って話したいことがある。逃げたらどうなるか……分かってるね』
親友の筆跡(ひっせき)だった。
――分かったわよ。従おうじゃないの!
ネオは挑発に乗り、放課後、教室で彼女とその悪友二人と対峙した。
「一体、何のようなの?」
強気な態度で、ネオは親友に問う。
彼女はフン、と鼻で笑い、
「ネオ、あんたがあーんな態度を取ることに、アタシらイライラしちゃったんでねー殴って分らせてやろうと思ったのよ」
『あーんな態度』とは恐らく、不登校もせず、いやがらせにも動じないことを指すのだろう。
「あんたのような正義感を持ってるヤツは、ほーんと嫌気がさすよ。何度も自分を偽って、優しく接しやがってさぁ、ほんと……、」
ガン! と教室のドアを叩きつける。
「ムカつくんだよ!!」
とネオに向かって罵声(ばせい)を浴びせる。
「何よ? 言いたいことはそれだけ?」
「何?」
ネオは自分の方がよほど格上だと、顔を少し上に向け、
「自分を偽ってる? バカ言わせないでよ。わたしは本心で接していたわよ! いつもアンタのことを大切に想っていたわ。アンタもアンタよ! 何で言ってくれないのよ!? いつだって力になってあげたのに! わたしたちは親友でしょ!? なのに、アンタはわたしとの関係を壊そうとしてるんだよ! その意味がが分かっているの!? バッカじゃないの! 親友として何度も言うわ。こんなのアンタじゃない! こんなの絶対に間違っているって! わたしの家族も絶対にそう言うわ! わたしのことを偽善者(ぎぜんしゃ)って言うのなら、あんたなんか、偽悪者(ぎあくしゃ)よ! アンタの悪人面(あくにんづら)は、これ以上見たくない! だから、いつもの――」
「うるさいっ!!」
「!」
ネオの訴えを『うるさい』の一言で消去された。
親友は、顔を俯き、身体を震わせながら、
「それが独りよがりなんだよ!! アタシのことを親友と言うくせに、何も気遣ってくれないじゃないか! どこが『大切に』だよ! 目障りなんだよ!」
「違う!」
「違わない! ……もういい。 おまえなんか、おまえなんか、アタシの気持ちが分からない、親友ぶっているおまえなんか……、」
彼女の孤独な気持ちが――、
「やってしまえ!!」
ネオに襲い掛かる。悪友二人に仕向ける親友は、まさに善(ぜん)を裁く死神のようだった。
「くらえ!」
二人はネオに殴りかかる。
「くぅっ!」
ネオは右、左と、一発ずつ悪友たちに殴られる。
「な、なによ……自分はただの傍観者じゃない。ホントにひきょ……くううっ!」
悪友にみぞおちにパンチを喰らい、ネオよろめき、倒れる。
「ははは、やっちゃえ!」
「やっちゃえ、やっちゃえ!」
悪友たちに踏まれ、ネオの顔が腫れていく。
ネオは、一切抵抗しなかった。親友の内心に気づけなかった、自分への罰として。
一体、何があったのだろう。
なんで、そこまで傷ついたのだろう。
なんで、そんな彼女の仕草に気づかなかったのだろう。
――意識が遠のく中、ネオはたくさん後悔の念がよぎった。 ごめん。本当にごめん。
親友の気持ちに気づけないなんて、最低だね。
あんたの言う通り、わたしは独りよがりだ。
いっそこのまま、消えてしまっても……。
そのとき。 「ネオ!」
「おまえたち! 何をしている!?」
「「「!!」」」
三人はビクッとなり、振り向いて廊下に立っている二人を見つめる。
「おにいちゃん……? せん、せい……」
弱々しく掠(かす)れた声で、助けに来た二人を呼び、気を失った――。
「ん……」
「ネオ!」
二歳年上の兄――麻倉広樹(あさくら こうき)の顔が、ネオの目に映る。
「おにい、ちゃん……」
弱々しい声を発しながら、見つめる。
窓から差し込んでくる夕日が眩しい。
「ここは……?」
「保健室だよ……良かった、無事で。ネオが帰ってこないから心配して学校へ来たんだよ。最近、何かに耐えているような苦しそうな顔をしていたからさ、もしかしたらと思って」
広樹は白いベッドの上で、顔が腫れている妹を優しく抱きしめた。
その中でぼんやりと、ネオは先ほどまでの『悪夢』が脳裏に浮かんだ。
親友に痛めつけられた恐怖や悲しみ、彼女の孤独が入り混じり、
「お兄ちゃん……わたし、わたし……」
自然とポタポタと涙が溢れる。
「ああ。よく耐えたな、ネオ」
広樹は自然と強く妹を抱きしめた。
「わたし、わた、し……、」
ネオも兄の胸に顔をぶつけ、彼の背中を強くつかみ、
「うわああああああっ!!」
ネオはぐちゃぐちゃになった親友への想いを、泣き叫んだ。
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