新・永山あゆむの小さな工房 タイトル

永山あゆむの小説・シナリオ創作ホームページです。

第三章(2)



 この事件の後、毎日家で暗い顔浮かべ、寝る時には泣いてるネオに心配して、小学校を訪ねねたんだと広樹から聞いた。職員室で事情を話し、ネオの担任の先生と教室に向かったら、親友と教室で言い争いをしているのが聞こえ、助けることができたのだという。

 ネオが気を失った後、親友は悪友二人と共に警察に連行(れんこう)された。

 そして翌日、この事件は小学校で話題となり、親友は少年院へと収容(しゅうよう)されたことをネオは先生から聞いた。その原因を作った親友の両親は、麻倉家には謝罪の言葉も何も言わずに姿を消した。

 親友はどうやら両親に虐待(ぎゃくたい)を受けていたみたいだった。小学三年生の頃から受け、日が経つにつれエスカレートし、彼女の心は冷え切ってしまったのだった。そしてそのやり場のない、怒り、悲しみを罪もないクラスメイト、そしてネオにぶつけていたのだろう。

 そんな彼女の異変に気づけなかった自分が、今でも腹が立つ。ネオは未(いま)だにこの出来事を自分への戒(いまし)めとしている。

 確かに彼女は悪いことを犯(おか)した。だけど、彼女の気持ちを汲(く)み取ることはどこかでできたはずだ。それが分かるのは、ずっと一緒にいる自分だけ。もしそれができていたら、変わったかもしれない。親に相談することだってできたはずだ。それができず、親友を失ったのが悔しくてたまらなかった。

 ――それを再び起こしてはいけない!

 ネオは静寂と化した教室の中で、学生たちがガヤガヤとしている――美術部が活動している美術室へと辿りついた。

 ネオはためらいもなく、


 バン!!


 勢いよく教室のドアを開いた。

 その力強い音が、美術室にいる部員全員を黙らせた。キャンバスに向かって色を塗る作業も中断する。「あんた誰?」と言っているような視線が、ネオを完全アウェイな状況にさせた。

 ――上等じゃない!

 ネオは孤立(こりつ)状態に動じず、険悪な顔つきで堂々と中へと入っていく。

「あ、あのー」

 そんな彼女にびびるも、怯(ひる)まずにドアの近くで座って作業しているメガネをかけた真面目そうな男子が、部員を代表してネオの前へとやって来る。おそらく部長だ。それも学年が一つ上の。

「き、君は、軽音楽同好会の麻倉さん、だよね」

「そうよ!」

 上級生相手に威勢のいい態度をとるネオ。部長らしき男子はその勢いに押されつつ、

「い、一体、ウチに何のよう、ですか? 君の部活とは、無関係のは、はずですが」

「関係あるわ! わたしの親友にね!」

「し、親友?」

 きょとんとする彼に、ネオは、ええ、と頷(うなず)き、

「この部活に所属している、竹下実緒についてよ!」

「竹下、さん……?」

 部長は『竹下』というワードに一瞬、ビクッと身体を震わせる。そのわずかな素振りをネオは見逃さなかった。

「そうよ! 急に一週間不登校になったんだけど、何か知らない!? 部活に行く前、暗い顔をしていたんだけど!」

 教室中に響く声で、ネオは弱腰(よわごし)部長に迫る。

「ねえ! どうなのよ!!」

「そ、それは……」

「はっきり言いなさいよ!!」

「ひ、ひぃっ!」

 ネオは胸倉(むなぐら)をつかみ、獲物を狙う猛獣のような鋭い目つきで前のめりになり、部長を威嚇(いかく)する。

「え、えーと……」

「何!?」

 ためらう部長に、もう一歩前へと踏み込もうとしたその時。

「竹下さん? ああ、あのオジャマムシのことだね。ずっと来ないと思ったら、そんなことになってなっていたんだねー」

「む、向井(むかい)君!」

 校舎が見える窓際の席に座っていた男子が立ち上がる。長身で、部長と同じようにメガネをかけているが、ずる賢(がしこ)そうに見える。そして、自信に満ち溢れたその態度。友達としてつきあいたくないヤツだなとネオは思った。

 向井と呼ばれた男子は、「ふふふ」とネオをあざ笑いながら、こちらに向かってきた。彼の冷たく見えるその笑(え)みに、部長は「ひぃっ!」と慌(あわ)てて二人の間に入る。教室の空気も急激(きゅうげき)に冷えていく。

 ネオは向井という名前と顔に聞き覚えがあった。コイツは確か、みちると同じクラスの――向井亮介(りょうすけ)だったはず。学年集会のとき、実緒と同じように表彰を受ける姿を何度も見ている。

 でも、そんなことはどうでもいい。相手が誰であろうと、ネオの態度は変わらない。茨(いばら)のように刺々(とげとげ)しい形相で向井を見上げる。

「へーえ。このボクに対していい度胸してるね、麻倉さん」

「あんたに褒(ほ)められても、何もないわよ」

 強がるネオに向井はヘン、と上目使い。

「実緒が不登校する原因を作ったのは、アンタだね?」

 静かな怒りに燃えるネオの唐突(とうとつ)な発言に、ハハハハ! と哄笑(こうしょう)する向井。

「ボクのせい!? 笑わせてくれるね! 逆だよ。あいつ自身が原因なんだよ!」

「な、何、それ? 一体、どういうことよ!?」

「ふふふふ。竹下さん、夏のコンクールで何を取ったと思う?」

「へ? 金賞でしょ。全校集会で校長から表彰を受けていたじゃない」

「そう。このボクより上の、ね」

「!?」

 向井の冷たい笑みから、湧(わ)き上がる怒りが溢(あふ)れてくる。

「おかげであいつはこのボクを差し置いて、部員の中の誰よりも上手くて、憧れの対象さ。あいつは、無許可にボクの地位を奪いやがったんだよ!」

「!」

 向井の意味不明な言いがかりに、ネオは絶句する。

「入りたての頃は、ボクが部活のエースだった。他の部員よりも賞をいっぱいとって、先輩や同級生からも、憧れの対象となってたんだよ。 ボクこそが美術部の頂点! ボクこそが天才絵師だってね! だけど、そんなボクの居場所をあいつは……」

 ぎゅっと握る向井の両手が震える。俯いていた彼は、グンと顔を上げ、

「おかげでボクのプライドはズタズタさ。しかも、部員に褒められても、あいつは謙虚で大人しいし、なんだかお嬢っぽくてさ。そんなやつと交代するなんて、それはもうムカムカしてたよ。だからさ――」

 向井はニヤッと変人のように狂った笑みを浮かべ、

「あいつの絵を毎日、ラクガキしてむちゃくちゃにしてやったのさ! どっちが『格上』だったのかをハッキリさせるためにね。あいつの絶望に満ちてその場で佇(たたず)んでいたあの表情、実に愉快(ゆかい)だったよ! フフフフフ……」

 アハハハハハ! と向井は高らかに嘲笑(ちょうしょう)した。

 その卑劣(ひれつ)で傲慢(ごうまん)な態度に部員たちは、他人事(ひとごと)のように見つめていた。向井に逆らうことのできない奴隷みたいだ。

 『部員にバカにされる』という実緒の言葉が、ネオの脳裏(のうり)に浮かぶ。

「だからボクは、竹下さんを追い詰めていないのさ! あいつは、ボクの居場所を壊そうとした報(むく)いを受けたのさ!」

 向井は俯(うつむ)いているネオの顔を覗(のぞ)く。

「これで分かっただろう。このボクに逆らうとどうなることが! 悪いことは言わないよ、麻倉さん。キミも素直に……、」

「ははは、何よ、それ?」

 うん? と首をかしげる向井に、ネオは怒りのこもった形相(ぎょうそう)で、


「こんの、根性なしのゴミクズが!!」


 その瞬間、美術室が無音(むおん)と化した。
 誰も喋ることができない。
 その中で、


 ダン!!


 ネオが足で床を強く叩きつけた。

「な、なんだよ……ボ、ボクの何がいけないのさ」

 怒りをむき出しにしたネオに、向井は怖気づく。

「あんたみたいなヤツが……」

「え?」

「あんたみたいなヤツがいるから、努力を否定する大馬鹿者がいるから、夢への、未来への、『自分の可能性』を失う人がいるのよ!!」

 ネオの拳に、両腕を震わせるほどの力が入っていく。

「ボクに逆らう? 怒りを通り越して、アンタの人間性に呆れるわよ。分からないの!? あんたが天才だからってね、努力し続けたものの方が、圧倒的に有利で、優れているってことが! 創作する全ての者はね、みんなみんな辛い道を通って、努力して、一歩ずつ前へと歩いているんだよ! わたしだって、去年は色々と迷惑をかけて、辛い思いだってしたわ! でもね、その過程があるからこそ今のわたしがある。それだけは否定できないわ! それは実緒だって同じよ! 努力したからすごい賞が取れた! 何物にも代えがたい価値を、あんたは壊したのよ! 誰にも否定できない『証』を! 存在を! 人の気持ちを傷つけてまで、美術を語るアンタなんか、アンタなんか……」

 涙で潤(うる)んだ瞳で、キッと鋭い目つきで向井を見つめ、

「こうしてやるんだから!!」

 ネオは右手を挙げ、勢いよく向井の頬に向かって……。

 美術室に「うわぁ!!」と、恐怖と驚きが入り混じった悲鳴が響き渡る。中には腕で隠す部員もいた。

 しかし、


「……っ」


 パチン! という音もなく、教室はただ……凍りついていた。部員たちは恐る恐るネオと向井の方へと顔を向ける。

「……はあ、はあ……」

 顔を下に向け、息が荒れるネオ。

 向井の頬に当たる寸前のところで、ピタッと踏みとどまっのだ。手は熱を帯び、ブルブルと震えている。

 彼女は分かっていた。同級生に向かって『ぶつ』という行為が、どれほど重たいものかを。小学生の頃とは違う。この一発と引き換えに、moment’s(モーメンツ)メンバーを裏切ることがどうなるかということを。

 ここで彼に暴力沙汰(ぼうりょくざた)を起こしたら、内に溜(た)めに溜め込んだ怒りから解放されるだろう。だが、それと引き換えに、総合祭に向けて必死にここまで頑張ってきたものが崩壊してしまう。仲間たちを裏切るわけにはいかない。そして、自分たちのステージを楽しみに待っている学生たちにも……。

 だから、踏みとどまった。心の内にある怒りを、引き出しの奥へ奥へと無理矢理押し隠した。

 そして、手をゆっくりと下げた。

 この場にいるのはネオと向井しかいないと思わせるような沈黙が続く。
 ネオはそれを利用して、踵を返して下の方へと歩き出した。

「な、なんなんだよ……」

 予想外の行動に、向井は唖然(あぜん)とする。

「……」

 ネオは俯いたまま、涙を拭いながら静かに廊下へ出ていき、

「あんたのせいで……、」

 溢れる涙でくしゃくしゃになった表情で向井を見つめ、

「あんたのその腐った神経が、実緒の心をむちゃくちゃにしたんだよ!!」

 抑え込んだ怒りを言葉に変え、ネオは猛スピードで廊下を走った。
 実緒、実緒!
 なんで気づいてやれなかったんだろう。なんで力になれなかったんだろう。後悔の念が次々と、頭の中で渦を巻く。わたしはまた、あの時と同じことをやってしまうの!?

 とめどなく流れる涙が次々と宙に浮かぶ。

「ネ、ネオ!?」

 大崎先生から事情を聞いて追いかけていたみちるの存在にも気づかず、ネオは神速(しんそく)のごとく階段を駆け下り、下駄箱で革靴に速攻で履き替え、校舎まで続く長い坂を下って駐輪場へ向かった。そして自転車の鍵を外し、駅の方角へと向かう学生が「うわぁ……」とあっけにとられるほどの速さで実緒の家へと向かった。

 晴天だった空模様はネオの気持ちを反映しているのかのように、徐々に怪しくなった。



※※※




 ハァ……ハァ……。

 団地の長い坂を登りきり、ネオは実緒の家の前にいた。

 こんなに全力を出したのはいつだろうか? 制服が汗で冷たく染みている。

 ネオは家の前に自転車を置き、すぐさま玄関前にあるインターホンを鳴らした。すべては自分の想いを、向井という「あんなゴミクズとは違う!」ということを伝えるために。いつでも実緒の味方だと伝えるために。いつも親友のことを想っていることを。

 ――実緒の手をとって、暗い闇に染まった景色から引っ張り出したい。

 しかし、インターホン押しても何も反応がない。

 だがそれでも、ネオは何度も何度も鳴らした。

 そして、


 ガチャ!


「実緒!」

「ネオ、ちゃん……」

 緑の縦縞(たてじま)模様のパジャマを着た実緒が、恐る恐る顔を出した。精神的に疲れたのか衰弱しており、『恐怖』という塊が、全身を蝕(むしば)んでいるみたいだ。

 でも、それでも実緒はいたのだ。

「よかった……最近、学校に来ないから心配したのよ」

 彼女がいることが確認でき、ネオはハァーッ、と安堵(あんど)の息が漏れる。

「何かあったの?」

 向井のことは分かっていない素振りで、そして彼女が怯えないようにネオは優しい口調で訊ねる。

「ネオちゃん、私……私……」

 実緒は涙ぐみ、

「もう、描けない……描けないよ……」

 胸に詰まったような悲痛な声が、ネオに突き刺さる。

「怖いの。怖くなったの。せっかく一生懸命が頑張っているのに、頑張っているのに……絵が、絵が、教室に入るたびに破られていて……。それを見るたびに頭が真っ白になって、拒絶されているみたいで。そう思ったら、クラスや部員のみんなと会うのも怖くて……」

「実緒……」

 やはり、不登校の原因はあのゴミクズ野郎――向井だった。

 実緒の双眸(そうぼう)から大粒の涙が零れていく。彼に植え付けられた恐怖が――あいつがいかに非道なことをしてきたか、この痛みをネオは分からせてやりたい気持ちでいっぱいになった。

「だ、大丈夫だって。わたしはあいつとは違うし、それにmoment’sのメンバーだって、実緒の絵を絶賛しているよ。そんな実緒の絵に――実緒が漫画家になりたいという夢に向かって一生懸命だから、わたしも歌手になる夢にもっと一生懸命になれるんだよ。負けられないって。だから……」

「……」

 戻ってきて、と言ってもきっと、今の実緒では届かない。

 大切に想っているとか、わたしがそばにいるから、そんなありきたりな言葉ではだめだ。歌手を目指しているのに、余計な言葉しか浮かばないそんな自分に、ネオはもどかしくてたまらなかった。

 どうすれば……。

「うっ……!」

「実緒!?」

 突然嘔吐(おうと)する彼女に、ネオはすぐに支える。

「だ、大丈夫……?」

「う、うん、平気……ゴホッ、ゴホッ……。ネオちゃん、ごめん。わたし、ネオちゃんですら話すのも、胸が、押しつぶされそうで……」

 胸元をぎゅっと手で押さえる実緒。

 これ以上はもう、話せそうもない。

「……そう、ね。もう、休んだ方がいいよ」

「うん」

 それしかない。

 ネオの言葉に実緒は静かに頷き、苦しそうな表情でドアノブを握る。

「来てくれて、ありがとう……」

「うん……」

「ごめん、ね……」

 実緒は暗い家の中へと戻っていった。ドアが、光と闇の境界線を引いているみたいだった。

「実緒、みお……」


 ……。


 ――結局、何もできなかった。

 小学生の頃にあったことが再び、ドラマのハイライトみたいにパッ、パッ、とシーンが切り替わりながら、頭の中で再現され、。

 あの頃と変わらない。友達の力にもなっていない。

 その事実だけが、ネオの胸に刻まれる。無力な自分に、失望感でたまらなくなる。

 脱力してしまい、両膝が自然と冷たいコンクリートの上につく。

 扉の奥で、実緒は何を思っているのだろう。泣いているのだろうか。恐怖と絶望に、深い闇の中心で押しつぶされているに違いない。

 ――この両手は、一体に何のためにあるのよ……。


「うわああああああああ――――――っ!!」


 大粒の涙が、とめどなく流れ落ちた。

 そして、


 ザ――――ッ。


 涙を隠すように、雨が降り出す。

 後悔、絶望、無力……色々な感情でぐちゃぐちゃになり、それが雨脚(あまあし)を強くさせた。

 後ろから、足跡が微かに聞こえてくる。ザッ、ザッ、と。実緒のご両親が帰ってきたのだろうか。

 誰かが、立ち止まった。実緒のご両親が帰ってきたのだろうか。

 ゆっくりと振り返ると、

「……ネオ」

 ――みちるが静かに立っていた。


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